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新宿区・皆中稲荷神社 玉垣と石碑の交換・改修工事

新宿区百人町にある皆中稲荷神社の玉垣(石塀)と神社名石碑を交換、改修させていただきました。


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新宿区・百人町にある皆中(かいちゅう)稲荷神社。
良く知られる鉄砲を担いだ武者たちが大久保通りを練り歩く「鉄砲組百人隊行列」は、こちらの神社で出陣式を行います。

天文二年(1533)から続くこちらの神社には、
「時は寛永年間、徳川幕府が『鉄砲組百人隊』を現在の新宿区百人町に駐屯させていたころの事、射撃の研究に勤しむ鉄砲組与力が腕が上がらず煩悶としていたところ稲荷之大神が夢枕に立たれた。
そこでこの与力が社頭に参拝し射撃を試みたところ百発百中し、これを目のあたりにした他の旗本の士達も競って参拝し射撃をしたところ、みな百発百中的中した」と言う伝承があります。

その後も「皆中(みなあたる)の稲荷」、「皆中(かいちゅう)稲荷神社」と呼ばれて現在まで参拝客が絶えない神社です。

そんな歴史ある神社の、時を経て風化が進んだ石の塀や石碑などの改修・交換工事の様子をご紹介します。


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【上】長い時を経て風化が進んだ石造りの玉垣や石碑。

【右】ヒビが入ってしまったため鉄のフレームで補強している神社名石碑。
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【塀の交換・改修】
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【左】施工前の様子
【右】施工後

仕切りがしっかりとできていないため、歩行者が出入り口ではないところから出入りできていました。参道入り口から続く塀の解体・撤去し、新規に笠石玉垣(石塀)を造ります。
真新しい白ミカゲが清々しい玉垣となりました。


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塀の下部は穴を開けたミカゲのブロックに鉄筋を通して積んでいます。


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反対側から。
3段の石積みで高さを出した笠石を乗せたミカゲの玉垣が出来上がりました。


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重厚感がありながら、清々しい真新しい白ミカゲの玉垣。
塀ができたことにより、神社としての格式の高さを感じられるようになりました。


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西側道路沿いの入り口の古い玉垣も交換します。
【左】施工前の様子
【右】新しくなった玉垣


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入り口左側の玉垣交換の様子です。
【左】施工前の様子
【右】新しくなった玉垣


【旗立ての設置】
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玉垣の内側には同じ白ミカゲ材を用いて旗立てを設けました。
下部に渡した石と笠石に穴をあけ、竿を二つの穴に通して固定する仕組みです。竿の立て外しが楽で倒れない旗立てが出来上がりました。


【石碑の交換】
風化した石碑にはヒビが入り、鉄のフレームで支えることで維持していました。
安全に配慮して少しずつ解体して行きます。


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鉄のフレームをカットしながら石を外していきます。


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基礎の上に坐った真新しいミカゲの土台。


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神社名の石碑が新しくなりました。
これからも、神社と共に新しい歴史を末永く町に刻んで行きますよう、祈念いたしております。


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真新しい玉垣にツツジが彩を添えています。

戦国時代が終わり平和になった江戸時代、鉄砲百人組の与力・同心は副業にツツジの栽培をしていました。それをきっかけにしてこの町はツツジの名所となり、明治の中頃は見物客で大変賑やかだったそうです。
その後開発が進んで次第にツツジは見られなくなりましたが、日比谷公園や各所の庭園に移されて「大久保つつじ」として生き残り、群馬県館林市にあるつつじが岡公園には天保年間に江戸大久保で作られていた本霧島、日の出霧島などの古木が保存されています。

現在は新宿区と地元の方々が一緒になり、かつてツツジの里であったこの町に大久保ツツジを蘇らせようと植樹活動をされています。

新しく植えられたツツジを目にしたら、立ち止まってこの町の歴史に思いを巡らせる、そんなゆとりを持ち続けたいものですね。